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昭和38年、父が南信塗料(株)を創業した5年後、私は長野県伊那市に生まれました。
鶏口牛後(ケイコウギュウゴ)―。
中国の故事にもあるように、小さくてもトップを取りたいの一心で自主独立を決意した父とは、物心ついてから小学3年生頃まで、何かを「一緒にやった」という記憶がありません。“ヤジマのおいちゃん”こと我が社の社員第一号、住み込み勤務の矢島氏(現CC・ジー(株)経営統轄)に可愛がってもらったこと、社員さんが徐々に増え、にぎやかになってきた会社の中で、大人のキャッチボールにまぜてもらったことが子供心に楽しかった思い出としてあるくらいでしょうか。 |
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| 昭和41年 左2番目が矢島統轄。 |
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「お父さんの会社ができた!」
自宅の前の田んぼに初めて社屋が建ち、その3年後には新しい自社ビルが建ち、南信塗料は順調に発展してゆきました。
そんな中、私は、両親から「お前は跡取りだ」と一度も言われることのないまま、自由に外の世界に憧れるようになりました。
「東京で一人暮らしがしたい。」、「海外で生活してみたい。」
大学進学も上場企業への就職も、「家業を継ぐ」ことを全く意識することなく、私が決め、両親にはただただ応援をもらいながら、まさに自由な人生を謳歌していました。
「父の仕事はただのペンキ屋ではないようだ。」少年時代に感じていた父の会社へのイメージは私が30歳になってもおぼろげなままでした。 |
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